米沢市ならではの能舞台を記録撮影!伝統芸能「鉢木」公演のフォト&ムービー撮影の紹介

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昨年12月に伝統芸能能舞台の公演を写真と動画で撮影した事例のご紹介です。
米沢市には、全国でも珍しい能舞台設備があります。有名な上杉神社のそばにある伝国の杜ホールの目玉として完備された〝世界初の空気浮上方式で移動する能舞台〟です。米沢市は、米沢藩の歴史の中で継承された伝統芸能「能」が保存されている貴重な地域です。金剛流という古い能流派も残っています。
伝国の杜の動く能舞台
HACHINOKI – 伝統芸能「能」鉢木の撮影



こういった礼節を重んじる伝統芸能の公演中の撮影は禁止になっています。弊社では、伝国の杜からご紹介を受けて公式カメラとして写真撮影とビデオ撮影を担当いたしました。使用機材は、ミラーレスカメラ1台、フルHDカメラ2台、4K定点カメラ1台、指向性マイク1台です。撮影された素材は即編集後にデータ納品となり、団体の記録となったり記念誌に使用されたり、今後の実績PR等に使用されます。
ちなみに、今回紹介する「鉢木」をご存知でしょうか?「能」は、現代の日本人に馴染みがないものになってしまいましたが、現代風に表せば古典和風ミュージカルです。昔は様々な場面で引用されるほど「鉢木」の物語は有名な舞台であり逸話でした。
〝偽りのない言葉〟〝正直者が救われる国〟
この物語は、水戸黄門と似て非なるものですが、武家社会の歴史と現代の日本人が忘れてしまった国を治めるための大切な教訓が描かれています。とても興味深い物語です。
鉢木 あらすじ
第一幕
時は約800年前の日本、鎌倉時代。執権を退いた北条時頼が修行僧となって諸国を巡行していました。上野国佐野荘(現在の栃木県/群馬県あたり)で大雪に見舞われて一家の家に宿を訪ねます。その家主は佐野源左衛門常世といい、貧しい生活のために受け入れられないと断りますが、妻からの説得と、雪に悩む修行僧の姿を見かねて一晩の宿を与えます。
常世は、元々は三十郷を束ねる豪族でしたが、一族の横領によって落ちぶれてしまっていました。しかし、鎌倉から声が掛かれば、命がけて戦う武士の誇りは失っていないと言います。そんな身の上話を修行僧にしていたところ、暖をとるための薪すらなくなりました。そこで、先祖代々大切に育ててきた〝鉢木〟を切って火にくべて、せめてものおもてなしと修行僧に暖を与えました。
第二幕
春になりました。突然、佐野源左衛門常世の元へも鎌倉から出兵の招集が入りました。「これは!」と、古い甲冑を引っ張り出し、錆びた槍を手に痩せ細った馬に乗って、他の武者と比べてみすぼらしい姿ながら鎌倉に馳せ参じました。一方、北条時頼は、常世を探して連れてくることを家臣に命じます。
常世は、自分のみすぼらしい姿が鎌倉に恥をかかせてしまったものかと思いながら、諸国を治める武将たちの中で御前に出ました。すると、御前から「あの雪の夜の僧はこの自分である。言葉に偽りなく、鎌倉へ馳せ参じてきたことをうれしく思う」と声がしました。〝鉢木〟を切って暖を与えた僧侶は、実は北条時頼だったのです。時頼は、常世の一族が元々所領していた領地を返還して、さらに新たな領地も与えました。常世は一族の誇りを胸に、妻のいる佐野荘へ意気揚々と帰っていくのでした。
一部Wikipediaより引用



伝統的な楽曲の中でとても厳かな舞台でした。こういった伝統芸能では、古語で語られるためセリフが分かりにくいものです。しかし、物語を知っていると、動きと音楽の抑揚で見せ場の判断がつき、名場面を見逃さずに撮影できます。撮影した写真は全107枚、動画は公演中映像をノーカット1本で納品させていただきました。武士たちの志と歴史を受け継いだ貴重な物語を記録させていただけたことに感謝いたします。
なお、この公演について山形新聞(2025年2月19日)に以下のような記事が掲載されていました。

また、主演の工藤美知尋氏は、米沢海軍(米沢藩士の末裔たちの日本海軍)などのノンフィクション歴史書籍をたくさん執筆されています。隠れた日本の軍人たちにご興味ある方はご拝読ください。

ハナシネマでは、日本の歴史や伝統芸能の記録や保存に関しての撮影にも積極的に協力しております。撮影やピーアール等のご相談があれば、こちらよりお気軽にご相談ください。最後までお読みいただきありがとうございました。

小山 恒二

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