米沢市の歴史と土地柄
上杉の城下町・農業と工業の町
米沢市は、吾妻山山麓に位置する盆地で、戦国時代後期から江戸時代にかけて 上杉謙信公 を祖とする上杉家が治めた米沢藩の城下町の名残がある都市です。
米国の第35代大統領ジョン・F・ケネディーに最も尊敬する日本の政治家として世界に紹介された「なせばなる」の名言でも知られている 上杉鷹山公 が活躍する江戸時代中期からは、農業と織物などの工業が盛んになり、現在でも農業と工業のモノづくりの町になっています。人口は8万人の歴史も自然も残る美しい土地が米沢市です。
米沢藩旧街道とハナシネマ
強者たちが歩いた道・天下一の傾奇者
ハナシネマは歴史ある土地に立っています。町内全体が江戸時代前期に、米沢藩が築いた砦(旧・新洞ヶ台/現・下花沢)だった武士町で、ハナシネマの近くにある虚空蔵尊は砦の城の役割を果たしたものと考えられ、直江兼続 の奥方様 お船の方 が祀ったものです。
ハナシネマの横を流れる川は口留番所の堀の跡で、目の前の砂利道は米沢藩の旧道跡です。米沢藩口留番所があった場所の斜向いにあります。今でこそ、国道13線や市道が開通して車や人が行き交うことはありませんが、江戸・明治時代は、米沢城下に入る藩士や人々が行き交って立ち止まった場所です。
この道を米沢城下から離れるように東進すると、天下一の傾奇者と呼ばれたかの有名な 前田慶次 が晩年住んでいたとされる屋敷(無苦庵)にぶつかりました。きっと、米沢城下に入るために 前田慶次 もハナシネマの前を歩いたことでしょう。まっ、420年以上前のことですから、当然まだハナシネマはありませんが…。
そんな土地にハナシネマは設立されました。
ハナシネマの歩み
2006年5月 |
HanaCinema株式会社 設立 結婚式ビデオ制作、ウェブ制作サービスを開始する。 |
2007年 | 月刊YONEZAWA実行委員会設立する。 フリーペーパー月刊YONEZAWA(米沢市全域配布)創刊する。 広告制作サービスを開始する。 |
2008年 | 米沢商工会議所入会する。 資金調達し、カムコーダー等設備投資する。 企業・学校向け映像制作サービスを開始する。 |
2009年 | 新聞折込広告制作サービスを開始する。 店舗向け販促物制作サービスを開始する。 |
2011年 | 増資する。 インターネット広告制作サービスを開始する。 山形県向けプレスリリース制作サービスを開始する。 |
2014年 | 山形県「置賜地域ふるさと伝統工芸発信事業」業務受託する。 中小企業庁「地域中小企業の人材確保・定着支援事業 山形地区」業務受託する。 |
2015年 | テレビユー山形報道部との業務提携する。 支店 ムービースタジオ開設する。 ARサービスを開始する。 AR宝探しARトレジャーを発表し、日経新聞に取り上げられる。 |
2016年 | 置賜観光協議会「山岳温泉トレイル動画制作」業務受託する。 代表取締役が、山形県よろず支援拠点コーディネーター委嘱される。 代表取締役が、山形新聞マイベストプロ山形に映像・マーケティング専門家として登録される。 |
2018年 | 映像制作サービスを首都圏まで展開を始める。 |
2019年 | 生産性向上IT導入支援事業費補助金IT導入支援事業者に採択される。 米沢市「TEAM NEXT YONEZAWA」に参画する。 |
2021年 | インターネットライブ中継サービス開始する。 ウェブサービスを首都圏まで展開を始める。 |
現在に至る
名称とロゴの由来
原点を物語る・はなむけになる記憶に残る作品
ハナは、創業者である 小山恒二 の生誕の地であり、会社設立された町名である花沢から一字貰ったものです。シネマは、同じく創業者好きな話す・伝える・物語を表現していおり、フランス語の映画を意味します。それらが重なった名前がハナシネマという社名で、ハナシネマの社名は『原点を物語る』ことを意味しています。モノを作る企業ではなく、形のないモノを映画のように物語ることで『本質を語り、記憶に残すサービスを提供する企業でありたい』という願いが込められています。
また、ロゴマークに使用している桜のマークは、多くの日本人が親しんでいる花である桜をモチーフにしたもので、精神を表すトライバルデザインを施して梟に似せた形になっています。これは、日本によくみられる原担ぎのようなもので「梟=不苦労」であり、ハナシネマに関わる皆様が、精神的に苦労することなく波に乗れることを表しています。このロゴデザインは、ハナシネマの黎明期から数年前まで活躍して、寿退職した社員が作ってくれました。
ハナシネマは、お客様の船出にぴったりな『はなむけになる映画のように記憶に残る映像・ウェブ制作サービス』を提供いたします。